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2008年6月22日 (日)

#34 ビートルズを脅かした衝撃の超新星 “キング・クリムゾン”

 King Crimson(キング・クリムゾン)のデビュー・アルバムIn The Court Of The Crimson King(クリムゾン・キングの宮殿)』。ロック史上最高傑作の一枚といわれ、発表されてから40年近くたったいまもさん然と輝いています。

 かつてこれほど私が衝撃をうけたアルバムは、ほかにないかもしれません。まずタイトルが意味ありげで素晴らしく、なにかしら近寄りがたい荘厳な響きをもっていました。おまけにレコード・ジャケットも、なんだこれはと思わせる異様さを漂わせたデザインでした。そして、その内容はとてつもない完成度と驚くべき斬新さをあわせもっていました。

はじめてこのアルバムを聴いたときの私の感想は、「こんなのがあるんかい・・・、すごすぎる!」でした。むふ。

 1968年にイギリスで結成されたKing Crimson(キング・クリムゾン)の音楽は、ほぼ同時期にデビューしたPink Floyd(ピンク・フロイド)Yes(イエスGenesis(ジェネシス)などとともにプログレシヴ・ロックと呼ばれました。新しい音楽表現を求めた実験的・先進的なロックとでもいえばいいでしょうか。略してプログレと呼ばれることが多く、いまでも根強いファンをもっています。

 この手の音楽はえてして自己満足に陥りがちで、聴くものにとって耐えがたい退屈さを感じるものも少なくありません。しかし、『クリムゾン・キングの宮殿』は多くのロック・ファンの心を揺り動かし、記憶に残るアルバムとなりました。

 1969年後半から1970年前半にかけて、全英アルバム・ヒットチャートのトップに君臨していたのは、飛ぶ鳥落とす勢いだったThe Beatles(ビートルズ)Abbey Road(アビイ・ロード)』でした。Come Together”、“Something”、 “Oh! Darling ”、“Here Comes The Sunなどを擁したこのアルバムは、ビートルズのなかでも名盤に数えられる1枚で好セールスを記録していました。

 そんな状況のなか196910月にリリースされたキング・クリムゾンのデビュー・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』が、全英アルバム・ヒットチャートに躍り出たのです。1位とはならなかったようですが、堂々ベスト・テンにランク・インしたのです。突如あらわれた異端の超新星が光をはなった瞬間でした。

 さて、『クリムゾン・キングの宮殿』ですが、いわゆるコンセプト・アルバムと呼ばれるもので、一枚でひとつの作品として作られています。クラシック音楽の交響曲のような構成になっていて、第一楽章“21世紀のスキッツォイド・マン”、第二楽章“風に語りて”・・・というような感じでしょうか。

一曲目の21世紀のスキッツォイド・マン(21世紀の精神異常者)”のライヴ演奏のようなテンションの高さと演奏技術の高さに驚かされ、一転して牧歌的な曲となったかと思えば、ムーンチャイルド”のせつなげな旋律に酔い、最後は深淵なる大曲“クリムゾン・キングの宮殿”で締めくくられます。ロック・ジャズ・クラシックなどの要素が取り入れられ、スリリングで濃密な時間が流れていく傑作です。

個性が強いので好き嫌いはわかれるかもしれませんが、ロック史上欠かせない重要な1枚であることは間違いありません。

 

 『In The Court Of The Crimson King(クリムゾン・キングの宮殿)』の収録曲とレコーディング・メンバーをご紹介しておきます。

 

   

     21st Century Schizoid Man including Mirrors

    (Fripp/McDonald/Lake/ Giles/Sinfield)

     21世紀のスキッツォイド・マン(21世紀の精神異常者)(インクルーディング:ミラーズ)

     I Talk To The Wind

    (McDonald/Sinfield)

風に語りて

Epitaph including : (a) March For No Reason (b) Tomorrow And Tomorrow

    (Fripp/McDonald/Lake/ Giles/Sinfield)

     エピタフ(墓碑銘)  (a) 理由なき行進  (b) 明日又明日

Moonchild including : (a) The Dream and (b) The Illusion

    (Fripp/McDonald/Lake/ Giles/Sinfield)

     ムーンチャイルド  (a) ドリーム  (b) 幻想

The Court of the Crimson King including : (a) The Return Of The Fire Witch  (b) The Dance Of The Puppets

    (McDonald /Sinfield)

クリムゾン・キングの宮殿  (a) 帰って来た魔女  (b)あやつり人形の踊り

   Robert Fripp(ロバート・フリップguitar.

   Ian McDonald(イアン・マクドナルドreeds, woodwind, vibes, keyboards, mellotron, vocals.

   Greg Lake(グレッグ・レイクbass guitar, lead vocals.

   Michael Giles(マイケル・ジャイルズdrums, percussion, vocals.

Peter Sinfield(ピート・シンフィールドwords and illumination.

 

 

 

“最悪の俺に、とびっきりの天使がやってきた”

このキャッチ・コピーで1998年に公開されたBuffalo '66(バッファロー’66)』という映画があります。Vincent Gallo(ヴィンセント・ギャロ)監督自らが主演をし、相手役にはChristina Ricci(クリスティーナ・リッチ)が起用されました。

両親の愛情を受けることなく育った内向的で幼児性をもつ青年ビリー・ブラウン(ヴィンセント・ギャロ)とまさに天使ともいうべき少女レイラ(クリスティーナ・リッチ)の物語です。

この映画のいちばんの見どころは、クリスティーナ・リッチの演技力とその存在感にあるといえます。とびきりの美人というわけでもなく、スタイルがいいわけでもないのに、その小悪魔的な魅力が映画を終始引っぱっていっていきます。クリスティーナ・リッチが主演でなければ、この映画は駄作になっていたかもしれません。それほどのハマリ役でした。

特にボーリング場でのワン・シーンが、ほんの数分なのですが素晴らしいのです。場内の照明がすべて消し落とされ、ピンが倒される音やまわりの話し声がフェイド・アウトする。暗闇と静寂のなかスポット・ライトがレイラにあてられ、静かなBGMが流れる。曲はキング・クリムゾン“ムーンチャイルド。ステージとなったボーリング場の一角で、曲に合わせてスローなタップ・ダンスを踊るレイラ・・・・。

ヴィンセント・ギャロはこの幻想的で妖艶なシーンを撮るために、この映画を撮ったのではないだろうか。そう思えるほどの名シーンでした。そして、クリスティーナ・リッチほどこのシーンが似合う女優はほかにはいないでしょう。BGMも“ムーンチャイルド”でなければ違った印象になっていたかもしれません。

この映画を観たときそんなシーンがあることはまったく知らなかったので、ボーリング場が暗くなり “ムーンチャイルド”が流れた瞬間、鳥肌だったのを覚えています。ヴィンセント・ギャロ、いいセンスしとるなあ。ふむ。

 

 

 

 

 

キング・クリムゾンの“21st Century Schizoid Man including Mirrors21世紀のスキッツォイド・マン)” は、こちらからご覧になれます。

21st Century Schizoid Man including Mirrors(King Crimson)の動画

キング・クリムゾンの“I Talk to the Wind(風に語りて)” は、こちらからご覧になれます。

I Talk to the Wind(King Crimson)の動画

キング・クリムゾンの“Epitaph(エピタフ)” は、こちらからご覧になれます。

Epitaph(King Crimson)の動画

キング・クリムゾンの“Moonchild(ムーン・チャイルド)” は、こちらからご覧になれます。

Moonchild(King Crimson)の動画

スティーヴ・ハケット、イアン・マクドナルドほかの“The Court of the Crimson King(クリムゾン・キングの宮殿)” は、こちらからご覧になれます。

The Court of the Crimson King(Steve Hackett, Ian McDonald, etc)の動画 ※ 1996年のライヴより。

ロバート・フリップとアンディ・サマーズの“I Advance Masked(心象現象)” は、こちらからご覧になれます。

I Advance Masked(Robert Fripp & Andy Summers)の動画 ※ 1982年、クリムゾンとポリスのギタリストが共演。

『バッファロー’66』でのクリスティーナ・リッチのスロー・タップ・ダンスは、こちらからご覧になれます。

Christina Ricci(Buffalo '66)の動画 ※ BGMは“Moonchild(ムーン・チャイルド)”です。

 

 

 

 

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2008年6月15日 (日)

#33 抒情詩人のはなつ反骨のメッセージ “忌野清志郎② パンク編~ザ・タイマーズ”

 RCサクセション1988年に発表したCOVERSは、物議をかもしたアルバムとなりました。ロック・スタンダードに反戦・反核・反原発をテーマにした歌詞をつけた、文字どおりカヴァー・アルバムでした。

 当初、『COVERS』は東芝EMIから発売される予定でしだが、歌詞の内容が問題になり直前で販売中止となってしまったのです。理由は親会社の東芝が国内の原発の中心的企業だったため、圧力がかかったからだといわれています。それでも他のレーベルから発売されヒットします。

 そして、FM東京ではアルバム『COVERS』を放送禁止となってしまったのです。1989年に清志郎はゼリーと名乗り覆面バンドのザ・タイマーズを結成し、同年出演したテレビの音楽番組でひとつの答えをだします。それが、“FM東京、おま○こ野郎”事件なわけです。生放送でやってしまったんですね。

その日、タイマーズは4曲演奏したのですが、2曲目の“偽善者”の歌詞を替えて歌ってしまいました。その一部を紹介しますと、

FM東京 腐ったラジオ FM東京 最低のラジオ

なんでもかんでも放送禁止さ

FM東京 汚ねぇラジオ FM東京 政治家の手先

なんでも勝手に放送禁止さ

FM東京 バカのラジオ FM東京 こそこそすんじゃねぇ

おま○こ野郎FM東京

という、なんとも過激な内容ですね。ちなみに、リハーサルでは本来の歌詞で歌っていたそうです。やはり、忌野清志郎には根本的に、ロックの精神が流れているということだけはいえそうです。

 また、ザ・タイマーズ意外にも精力的に音楽活動を展開していきます。坂本冬美細野晴臣とのHISという音楽ユニットでは、ジミヘンの曲をアレンジし“パープル・ヘイズ音頭”として発表。エンターテイナーとしてもともとすぐれているのですが、ここでもそのセンスを発揮します。トーサンズでは井重里の歌詞で“パパの歌”を歌い、肩身のせまくなってしまった世のお父さんたちに勇気と力をあたえました。これは清水建設のTVCMに使われました。

 音楽的にはフォーク、ロック、R&B、ソウル、そしてパンクと幅広くやってきた清志郎ですが、そのメッセージにも引き出しの多さを感じずにはいられません。レコーディングのゲストの多さ、ライヴでの共演者の豊富さから考えると、多くの人間から愛される忌野清志郎の人間性もわかるというものです。

 そして、清志郎が私たちに伝えたかったメッセージは、彼がステージで観客によくいっていたこのひとことに集約されると私は思うのです。シンプルですが心に残るフレーズ。文字にするとクサいのですが、清志郎がいうとなんだか心の奥深くまで響きわたるのです。

 「愛しあってるか~い?」

 

 体調面が心配されますが、忌野清志郎にはこれからもステージに立ち、このメッセージを送り続けてほしいものです。

 

 

 

 

 

 

タイマーズの“偽善者”は、こちらからご覧になれます。

偽善者(タイマーズ)の動画 ※ FM東京ヴァージョン。

タイマーズの“デイ・ドリーム・ビリーバー”は、こちらからご覧になれます。

デイ・ドリーム・ビリーバータイーズ)の動画

忌野清志郎&ウルフルズの“デイ・ドリーム・ビリーバー”は、こちらからご覧になれます。

デイ・ドリーム・ビリーバー(忌野清志郎&ウルフルズ)の動画

The Monkees(モンキーズ)の“Daydream Believer”は、こちらからご覧になれます。

Daydream Believer(The Monkees )の動画

トーサンズの“パパの歌”は、こちらからご覧になれます。

パパの歌(トーサンズ)の動画

忌野清志郎+坂本龍一の“い・け・な・いルージュマジック”は、こちらからご覧になれます。

い・け・な・い ルージュマジック(忌野清志郎+坂本龍一)の動画

HISの“パープル・ヘイズ音頭”は、こちらからご覧になれます。

パープル・ヘイズ音頭(HIS)の動画

忌野清志郎&井上陽水&高中正義の“傘がない”は、こちらからご覧になれます。

傘がない(忌野清志郎&井上陽水&高中正義)の動画

忌野清志郎&矢野顕子の“世間知らず”は、こちらからご覧になれます。

世間知らず(忌野清志郎&矢野顕子)の動画

忌野清志郎&仲井戸麗市の“Don't Let Me Down”は、こちらからご覧になれます。

Don't Let Me Down(忌野清志郎&仲井戸麗市)の動画

The Beatles(ビートルズ)の“Don't Let Me Down”は、こちらからご覧になれます。

Don't Let Me Down(The Beatles)の動画

 

※2008年10月29日追記

トーサンズの“パパの歌”は、こちらからご覧になれます。

パパの歌(トーサンズ)の動画

 

 

★ 本日の L-O-V-E

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2008年6月14日 (土)

#32 抒情詩人のはなつ反骨のメッセージ “忌野清志郎① 抒情編~RCサクセション”

喉頭ガンの治療のため長期入院中だった忌野清志郎が、今年の2月に “忌野清志郎 完全復活祭 日本武道館”と銘打ったライヴでファンにその元気な雄姿をみせてくれました。

復活からだいぶたってしまいましたが、祝復活ということで清志郎特集です。

ご存知の方も多いと思いますが、日本にRCサクセション1970年~1990年)というバンドがいました。詞、曲、ライヴ・パフォーマンス、ファッション、言動、どれをとっても注目を浴びた本格派のロック・バンドでした。

1960年代以降日本にはいくつものロック・バンドが現れましたが、その大半は英米の亜流に過ぎませんでした。たとえば曲調や音は完全にロックなのに歌詞が嘘っぽく心に響いてこないとか、ファッションや音楽形式だけをコピーしたバンドも多かったのです。本来ロックにはそこにひとつのメッセージがあったはずです。そんななか、数少ない本物といえるロック・バンドのなかで、RCサクセションは際立った存在感をもっていました。そして、RCサクセションの歴史は、忌野清志郎の歴史そのものでもありました。

フォーク・ロック・バンドとして1970年にデビューしたRCサクセションでしたが、フォーク・デュオの古井戸にいた仲井戸麗市の加入などによって次第にロック色を強めていきます。1980年には久保講堂でのライヴを収録した名盤『ラプソディ』をリリース。RCがライヴ・バンドとしての評価を高めブレイクするきっかけとなったアルバムでした。私が本格的にRCを聴くようになったのは、ちょうどこの頃でした。派手なファッションとビートのきいたライヴ・パフォーマンスも大きな魅力だったのですが、それとは裏腹に清志郎の書く詞はリアルで叙情的で、私たち多くのファンの心をつかんだのでした。

 忌野清志郎の書く詩は、東京都のいわゆる多摩地区が舞台となっているものがいくつかあります。真偽のほどはさだかではありませんが、たとえば、スローバラード”に出てくる市営グラウンドは立川市営グラウンドであり、多摩蘭坂”は国立市に実在する坂で、トランジスタ・ラジオ”は都立日野高校での話だといわれています。

 当時学生だった私は八王子市に住んでいて、日野市に親戚が、国立市と立川市に友だちがいたので、そのあたりをよくうろついていました。清志郎の詞が妙にリアルにきこえてきたのは、そのせいもあるかもしれません。

 RCといえば“雨上がりの夜空に上を向いて歩こうキモちE”などの派手なロック曲が有名ですが、ロック・バラードにも名曲が多いのです。

たとえば、帰れない二人スローバラード多摩蘭坂。(“帰れない二人”は井上陽水1973年にリリースしたシングル“心もよう”B面の曲ですが、忌野清志郎との共作です。)

私はこの3曲を忌野清志郎の抒情三部作と勝手に呼んでいます(笑)。ヒッピーに捧ぐ”“エンジェル”を入れろという意見があるかもしれませんが、個人的な思い入れからいくとこの3曲になってしまいます。勝手にきめてすみません(笑)。

“トランジスタ・ラジオ”も曲調こそポップなロックですが、その歌詞はイメージがふくらみ情景の浮かぶラヴ・ソングとなっています。私の大好きな曲でもあります。

清志郎が通っていた東京都立日野高校での、とある日の風景が見えてくるようです。教室で彼女がまじめに授業を受けているとき、清志郎は授業をさぼり屋上で煙草を吸いながらラジオで音楽を聴いているという設定ですが、とても素敵ないい詞です。

清志郎の年齢から考えると1960年代半ばあたりの話なので、洋楽が本格的に日本に入り始めた頃ということになります。音楽好きの高校生にとって、どれだけ刺激的な日々だったかがうかがえるエピソードだといえます。トランジスタ・ラジオで聴いていたのは、間違いなくFEN(米軍放送、現在の名称はAFN)の音楽番組でしょう。

この頃、RCサクセションのベーシストである小林和生(リンコ・ワッショー)などとザ・リメインダーズ・オブ・ザ・クローバー(RCはこの略称)というバンド名で活動していました。俳優の三浦友和(夫人はかの山口百恵)は日野高校の同級生であり、清志郎のバンドにパーカッションなどでゲスト参加したりしていたようです。これはファンのあいだでは有名な話でした。

 ロック・バンドとして絶大な人気を得たRCサクセションでしたが、抒情のソウル・マン忌野清志郎は新たな方向へと進んでいきます。それはパンク・ロッカーへの道でした。

RCサクセションは後期になって戦争や原発をとりあげ、反体制でより過激な方向へと向かっていくのです。これはゼリーという名で後に結成した覆面バンドのザ・タイマーズでの音楽活動に引き継がれていきます。

次回は、抒情詩人のはなつ反骨のメッセージ “忌野清志郎② パンク編~ザ・タイマーズ”をお送りします。

 トランジスタ・ラジオの詞を書いておきますので、よかったら読んでみてください。

 

 

 

 

 

トランジスタ・ラジオ   作詞・作曲 忌野清志郎

Woo 授業をサボって

陽のあたる場所に いたんだよ

寝ころんでたのさ 屋上で

たばこのけむり とても青くて

内ポケットに いつも

トランジスタ・ラジオ

彼女 教科書 ひろげてるとき

ホットなナンバー 空にとけてった

ああ こんな気持ち

うまく言えたことがない ない

ベイ・エリアから リバプールから

このアンテナが キャッチしたナンバー

彼女 教科書 ひろげてるとき

ホットなメッセージ 空にとけてった

授業中 あくびしてたら

口がでっかく なっちまった

居眠りばかり してたら もう

目が小さく なっちまった

内ポケットに いつも

トランジスタ・ラジオ

彼女 教科書 ひろげてるとき

ホットなナンバー 空にとけてった

ああ こんな気持ち

うまく言えたことがない ない

Ah 君の知らない メロディ

聞いたことのない ヒット曲

Ah 君の知らない メロディ

聞いたことのない ヒット曲

Ah 君の知らない メロディ

聞いたことのない ヒット曲

Ah 君の知らない メロディ

聞いたことなんか ない

 

 

 

 

 

 

 

RCサクセションの“トランジスタ・ラジオ”は、こちらからご覧になれます。

トランジスタ・ラジオ(RCセション)の動画

RCサクセションの“よォーこそ”は、こちらからご覧になれます。

よォーこそ(RCン)の動画

忌野清志郎&仲井戸麗市の“君が僕を知ってる”は、こちらからご覧になれます。

君が僕を知ってる(忌野清志郎&仲井戸麗市)の動画

RCサクセションの“ヒッピーに捧ぐ”は、こちらからご覧になれます。

ヒッピーに捧ぐ(RCサクョン)の動画

RCサクセションの“あきれて物も言えない”は、こちらからご覧になれます。

あきれて物も言えい(RCセション)の動画

RCサクセションの“雨上がりの夜空に”は、こちらからご覧になれます。

雨上がりの夜空に(RCサクセン)の動画

忌野清志郎の“上を向いて歩こう”は、こちらからご覧になれます。

上を向いて歩こう(忌野清志郎)の動画

RCサクセションの“エンジェル”は、こちらからご覧になれます。

エンジェル(RCサクセション)の動画

 

 

忌野清志郎の抒情三部作です・・・・ぷぷw

忌野清志郎&井上陽水の“帰れない二人”は、こちらからご覧になれます。

帰れない二人(忌野清志郎&井上陽水)の動画

RCサクセションの“スロー・バラード”は、こちらからご覧になれます。

スロー・バラード(RCサクン)の動画

忌野清志郎の“多摩蘭坂”は、こちらからご覧になれます。

多摩蘭坂(忌野清志郎)の動画

 

 

 

※2008年06月22日追記

 

RCサクセションの“ロックン・ロール・ショー”は、こちらからご覧になれます。

ロックン・ロール・ショー(RCサクン)の動画

※2008年10月29日追記

 

RCサクセションの“モーニング・コールをよろしく”は、こちらからご覧になれます。

モーニング・コールをよろしく(RCサクン)の動画

 

 

 

 

 

 

 

 

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2008年6月 8日 (日)

#31 ブルースの国からやってきた男たち “憂歌団”

この四人はきっとブルースの国からやってきたに違いない。

ヴォーカル木村充揮(秀勝、ギター内田勘太郎、ベース花岡献治、ドラムス島田和夫1998年に解散した憂歌団の面々である。

日本国ブルース県出身の数少ない四人が同じ大阪という街でめぐりあったのは、奇跡といっていいかもしれない。日本国ロック県出身者はそこそこいたとしても、ブルース県出身者は絶対数が少ないのだ。

 内田勘太郎は小学生のころビートルズをよく聴いていた。そんなある日、高校生の兄がガット・ギターを買ってきたのだ。内田少年とそのギターとの出会いがそもそもの始まりだった。

 中学生になった内田少年は、ローリング・ストーンズ、ヴァニラ・ファッジ、クリーム、ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンスなどを好んで聴いていた。もちろん、ブルースも聴くようになり、ギターの腕も上達していった。絵をかくのが好きだったこともあって、大阪市立工芸高校日本画科に入学する。

 大阪市立工芸高校にはじめて登校した日、一限目終了のベルが鳴ったときだった。後ろの席に座っていた生徒がポンと肩をたたき声をかけてきた。

「ジ、ジブン、どこの中学から来たん?」

(※ 標準語に訳すと「き、きみは、どこの中学からきたの?」)

かすれたような高いような声だった。振り向くと人のよさそうなニキビ面の少年が笑っていた。木村秀勝だった。

 二人はしだいにいろんなことを話すようになり、音楽の話になったときお互いにギターをもっているということがわかるのだ。そうなると話は早い。学校のデッサン実習室でセッションというか合奏をするようになる。おもしろいことにはじめは内田がヴォーカルをとっていたようだが、ある日Elmore James(エルモア・ジェイムス)Dust My Broomというブルースをやっていたがどうも上手く歌えない。どうもしっくりこないのだ。内田は思いつきで木村に、木村君ちょっと歌ってみてよといった。するとどうだろう、声といい節回しといいすごいのだ。まぎれもないブルースだった。おまけに強烈な個性もあったという。その日から木村がリード・ヴォーカルとなったのはいうまでもない。二人の演奏は、デッサン実習室や屋上手前の階段踊り場でほぼ毎日繰り返された。

 やがて内田は憂歌団というバンド名をつけ、二人編成のブルース・バンド活動が続いていく。高校を卒業後、メンバーも自然な流れのままにベースとドラムスが加わっていく。ベースは木村の小中学校の同級生の花岡献治、ドラムスは大阪市立工芸高校軽音楽部の部長をやっていた島田和夫だった。四人編成による憂歌団の結成である。みんなはまだ若く無名だったが、すでにれっきとしたブルース・マンだった。

 余談だが、ギターでボトルネック奏法(スライド奏法)という奏法がある。弦の上を小指にはめた瓶の首をまさしくスライドさせるのだ。なめらかに音程が変わっていき、哀愁のある雰囲気を奏でるわけなのだ。内田勘太郎が多用している奏法でもある。通常は既製品の金属性のスライドバーを使うことが多いのだが、内田は高校生のころいろんな瓶で試した結果カルピスの瓶にたどりついたという。

しかしカルピスの瓶の形状も時代とともに移り変わり、何年も前にスライド奏法にはあわなくなったそうだ。そのころの話だが、憂歌団の当時のマネージャーが形状の変わる前のカルピスの瓶を集めようとカルピスに問い合わせたことがあるという。電話にでた担当者は「はぁ、そんな使い方をなさってたのですかぁ。」と返答にこまっていたらしいが、最後には「いつもご愛用有難うございます。」とこたえ、しばらくたって何箱もの旧型カルピス瓶が送られてきたのだ。ちなみに中身もちゃんとはいっていたそうだ。

あっぱれカルピス株式会社!

 私がはじめて憂歌団を聴いたのは、18歳のころだった。大阪市内で行われる音楽イベントのタダ券を友だちにもらったのだ。記憶があいまいだ・・・、タダ券は心斎橋あたりの街頭で配っていたのかもしれない。ひとりでいったのか友だちといったのかも思い出せない。とにかく私はその会場に行ったのだ。その室内音楽イベントは司会者が名の売れたミュージシャンだったような気がするがそれも思い出せない。ただ確かなのはそこに憂歌団が出演していて、そのライヴ演奏に私はぶっとんだということだ。その前後の記憶はぼんやりしているのに、演奏シーンの一コマが映像としていまでも私の記憶に残っている。

その直後FMラジオの音楽番組に出演していた憂歌団のスタジオ・ライヴをカセット・テープにダヴィングして何度も聴いたことを思い出す。演奏曲は“カントリー・ガール”、“出直しブルース”、“わたしの彼氏”、“嫌んなった”、“当たれ!宝くじ”などだった。

憂歌団はライヴでないとその魅力がおしはかれないバンドでもあった。木村充揮の魂に溢れたヴォーカルと客とのかけあい、内田勘太郎の鬼気迫る超絶ギター・テクニックはだれにも真似することはできない。リズム・セクションの花岡献治、島田和夫は地味だが、憂歌団にとってこの二人はなくてはならない演奏とキャラクターを持ちあわせていた。私は彼らのライヴを四回ほど観にいったが、手を抜いたパフォーマンスはただの一度もなかった。

憂歌団はもう解散してしまったので、四人の演奏がきけないのは残念だが、いま四人はそれぞれマイペースで独自のソロ活動を展開している。

圧倒的な存在感と独自の個性をもったほんまもんのブルース・バンド、憂歌団。こんなバンドは二度と現れないかもしれませんね。

 

 

 

 

 

憂歌団の“スモーキン・ブギ”は、こちらからご覧になれます。(1976年のライヴより)

※ ダウン・タウン・ブギウギ・バンドのカヴァー。

スモーキン・ブギ(憂団)の動画

憂歌団の“パチンコ”は、こちらからご覧になれます。(1976年のライヴより)

パチンコ(憂歌団)の動画

憂歌団の“Kind Hearted Woman”は、こちらからご覧になれます。(1994年のライヴより)

※ ロバート・ジョンソンのカヴァー。

Kind Hearted Woman憂歌団)の動画

憂歌団の“当たれ!宝くじ”は、こちらからご覧になれます

当たれ!宝くじ(憂歌団)の動画

憂歌団の“嫌んなった”は、こちらからご覧になれます。(1998年のラスト・ライヴより)

嫌んなった(憂歌団)の動画

憂歌団の“おそうじオバチャン”は、こちらからご覧になれます。(1998年のラスト・ライヴより)

おそうじオバチャン(憂歌団)の動画

憂歌団の“シカゴ・バウンド”は、こちらからご覧になれます。(1998年のラスト・ライヴより)

シカゴ・バウンド(憂歌団)の動画

憂歌団の“君といつまでも”は、こちらからご覧になれます。(1998年のラスト・ライヴより)

※ 加山雄三のヒット・ナンバー。憂歌団のライヴでの定番曲となっていました。

君といつまでも(憂歌団)の動画

憂歌団の“スティーリン”は、こちらからご覧になれます。(1998年のラスト・ライヴより)

※ ライヴの最後の曲としてよく演奏されていました。

スティーリン(憂歌団)の動画

憂歌団の“スペシャル・メドレー”は、こちらからご覧になれます。(1998年のライヴより)

※ ロック名曲メドレー。クラプトン、ツェッペリン、ジミヘン等々。

スペシャル・メドレー(憂歌団)の動画

憂歌団の“ナイフ”は、こちらからご覧になれます。(音声のみ)

ナイフ(憂歌団)の動画

憂歌団の“胸が痛い”は、こちらからご覧になれます。(1989年のTVライヴより)

胸が痛い(憂歌団)の動画

木村充揮&BEGINの“胸が痛い”は、こちらからご覧になれます。(2006年のライヴより)

胸が痛い(木村充揮&BEGIN)の動画

内田勘太郎&ゴンザレス三上の“ゴン勘マーチ”は、こちらからご覧になれます。

ゴン勘マーチ(内田勘太郎&ンザレス三上)の動画

 

 

 

※ 2007年10月29日追記(動画追加)

 

憂歌団の“胸が痛い”は、こちらからご覧になれます。(1998年のラスト・ライヴより)

胸が痛い(憂歌団)の動画

  

憂歌団の“俺の村では俺も人気者”は、こちらからご覧になれます。(1998年のラスト・ライヴより)

俺の村では俺も人気者(憂歌団)の動画

 

※ 2009年07月26日追記(動画追加)

 

内田勘太郎の“サマー・タイム・ブルース”は、こちらからご覧になれます。

サマー・タイム・ブルース(内田勘太郎)の動画

   

内田勘太郎・石川鷹彦の“Sweet Home Chicago”は、こちらからご覧になれます。

Sweet Home Chicago(内田勘太郎・石川鷹彦)の動画

   

内田勘太郎の“ブルースを語る”は、こちらからご覧になれます。

ブルースを語る(内田勘太郎)の動画

 

 

★ 本日の L-O-V-E

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